驚いたのなんのって!?
先日、夕方、コンビニに寄ったら小学生がレジのおばさんに
「これ食べられるよね?」
と聞いていました。
名札を見たら小学校3年生でした。小3の男の子が持っていたのは、たぶん冷凍ギョウザ。
どういうことかというと、コンビニに設置してある電子レンジでチン!して、この冷凍ギョウザはこの場ですぐ食べられるか?
それをレジの人に聞いていたんですな・・・・
「ハイ、食べられますよ!」
とコンビニの人が言って、めでたく小3生は、インスタントヌードルと冷凍ギョウザを買い、ヌードルにはお湯を入れて、ギョウザはチン!して、近くの公園に行ったとさ!
とまあ、こういうお話です。
私は、しばらく何が起こっているのかが理解できず、小3生がその後、公園で食べているのを見てようやく事情が飲み込めたのでした。ただ、なんだかしばらく放心して近くのバス停のベンチに、しゃがみこんだ。
なにが、どういうふうにショックなのかは、うまく説明できないのですが、とにかくその光景を目の当たりにして愕然としたのでした。もしかして、このようなことは現在、当たり前にあって、なにを今さら・・・というくらいのことなんだろうか。私が知らないだけなんだろうかと。
倫理的にどうとか見た目がどうとかではなく、なんだか小3がおやつ代わり?に、普通に冷凍ギョウザをコンビニで買って、当たり前に公園で食べているという事実がなんともねえ。
皆さんはいかがですか?
変わる家庭の食卓
というのも、先日、「家族の勝手でしょ!」という本を読みました。
岩村暢子著「家族の勝手でしょ!写真274枚で見る食卓の喜劇」
この本は続編だそうですが、1960年以降生まれの主婦に食卓の記録を写真で撮って、インタビューを重ねてきた調査結果を紹介している本です。
アマゾンの内容紹介には、お菓子で朝食、味噌汁回し飲み、夫と妻の昼飯格差、赤ちゃんの一人食べ、家庭のネットカフェ化― 食卓ナマ写真が映し出す今どきの家族像とは?とあって、もう滅茶苦茶な食卓の写真がこれでもか!ってくらい載っている本で、朝日新聞では本書には、子の嫌いなものを食べさせることを「私のストレスになるから、そういうことはしたくない」という親や、「子供が食事の時間に寝ていたから起こさなかった」と欠食させる親のインタビューも登場する。
「食卓は家族や社会を映し出す鏡。急速に崩壊していますが、どうあるべきか、データを深く見つめれば見つめるほど簡単にはいえない」とあります。
実はこの本、どうしても最後まで読み通せなかった・・・なんか読んでいると具合が悪くなる感じがするんですよね。そう、「あの冷凍ギョウザの小3生」を見たときのなんとも言えぬ感じと似ています。
本「家族の勝手でしょ!」の冒頭、著者がこう書いています。
「家庭の食事の調査している食品メーカーや調査機関の人々から特殊な家庭の特別な食事シーンだけを恣意的に取り上げているんじゃないですか?
だってウチの調査では、あそこまでヒドイ食卓はそうないですよ」と。
ホントにそう思いました。特殊な例だろ!?と。
しかし、と著者は言います。
聞くと、たいていは任意の1日の3食か、長くても3日間くらいの食卓調査である。
私たちは1週間データをとるが、前半3日目くらいまでは、眉に唾しながら見る。なぜなら、長年調査をしてきて、1週間の前半と後半では大きな差があることを知っているからだ。同じ主婦の作る食卓とは思えないこともある。
と。
それでも、私には信じられなかった・・・それでもあの小学3年生を間近で見たとき、もしかして・・・と思うようになったのです。
皆さんのご家庭の食卓は今どうなっているでしょうか?
料理は家族の心身の生命を守るもの
これまでストロングはここで弁当や食事について何度か取り上げてきました。
その際には、料理家の辰巳芳子さんがおっしゃる
家族にお料理をつくる場合は、家族の心身の生命を守るのです。
子供が自分が大きくなりたいと思う以上に、生物としての欲求がありますから、自分の命を守ってもらえているという安心感がそこにある。
親子の絆は、そこで固まっていくはずではないかと。
を引用させていただきました。「食卓は安心感と絆を育む場所である」ホントにそう思うからです。成績がイイ子の親を目指すなら、なによりも勉強に「安心して」打ちこめる環境が必要だと思うからです。
しかし、なかなかお母さんが仕事で忙しくしている場合、食事が思うようにままならない、家族みんなで食卓が囲めるスケジュールではない家庭も多い時代です。ならば、1つの方法として子供にもたせるお弁当でそれを表現したらどうでしょうかとも書きました。
働いて忙しいお母さんにどうしても読んでいただきたい部分として、受験直前の小6のメイさんのメールを紹介しました。
例えば塾のお弁当ひとつでもそうです。
他のお子さんは学校から帰って一息ついて、お母さんの作ったお弁当を持って行くのでしょう。我が家は私が居りませんので、一人で鍵を開けて入り、出勤前に作ったお弁当を持って塾に行きます。
つまり作ってから実際食べるまでに12時間以上経ちます。ですからなるべく傷み難いものばかりを詰めるわけです。ちょっと可哀想ですがしかたありませんでした。
私なりには頑張っているわけです。。。
それに対して、私は、
この12時間以上たった弁当が、本当にあったかいんですよ!!今コンビニで温めてもらった弁当よりもはるかにあったかい!!
子供もよくわかってる。痛いくらいにわかってる。どうぞ今忙しく働いていらっしゃる方、色彩鮮やかな種類豊富な弁当でなくてもいいんですよ!!
今ある時間で作れるお弁当を作って上げてくださいませ。その弁当は食べるときにあったかいだけでなく、これから年数が経ってもずっとあったかいままですから・・・・
これはまさに、かあちゃんの魔法のお弁当ですね。
と書いたわけです。
また、私自身の経験として
いつも同じおかずだったけど、栄養は思いっきり偏っていたけど、私はオフクロの弁当が大好きでした。働いて忙しくて時間がなかったはずなのに・・・
汁物は入れるな!って頼んでも、おかまいなしに汁物が入ってた!
あれは前の日の晩御飯のメニューでいやおうなく決まっていたんだ!
肉じゃがの汁で変色し、匂いがつきまくったテキストが懐かしい(^ε^)-☆
子供も焦燥感に駆られながら頑張っています!少々栄養が偏っていてもいいじゃないですか!
毎回は無理でも、ぜひお弁当で子供を抱きしめてやってください。
とも書きました。
親の気持ちを表現するもの
食べるものは毎日のことですからねえ。そういう意味では、一番親の気持ちを表現しやすいものなんじゃないかと思うんです。ガキがおやつにコンビニで冷凍ギョウザを買って食べるのは、どうしても違和感がある。なにかわからないけども。
それぞれの家庭の事情や環境によって答えは1つではないと思います。それぞれの家庭の形があってイイ。
でもね、おやつも含めて、食卓や弁当は子供たちの人生を決める大きな要素の1つだと思うんです。ぜひ忙しい方ほど考えてみてほしいと思います。
最後にもう1つ、「すごい弁当力!」という本があります。
「すごい弁当力!」佐藤剛史著
エピソードを九州大学の先生が語りつつ、弁当の力を書いた本なんですが、ここにはたくさんの方の「弁当の思い出」が紹介されています。
いくつも紹介したいけど、ここまでずいぶんと長くなったので、2つだけ紹介させて下さい。
大学1年生 女子
初めて受験という人生の勝負を迎えた日の昼休み。周りには友達もいなくて、一人ぼっちの昼食時間を過ごすことになった。中学校でも昼食はいつも母の手作り弁当。もちろん、高校受験当日のこの日も、いつもの弁当袋にいつもの二段弁当箱。
そしていつものように保冷剤で湿ったフタを気にしながら開けた。フルーツの入った一段目と、ご飯とおかずの2段目を机に広げたとき、サランラップのカタマリが2段目のフタにひっついていることに気がついた。中には小さなメモが入っていた。
「あーちゃんへ。今日まで頑張ってきたからダイジョーブ。頭のいいママの子だし!自分を持ってBESTを尽くしてね。ファイトー!一発!!」
母も保冷剤の湿り気にしてサランラップにくるんでくれていたのだが、危うくゴミと間違えるところだった。ゴミになりかけた手紙を読みながら、ニヤケながら弁当を食べた。
いつもの味だった。いつもの母の字だった。
おかげで緊張がほぐれた。
大学2年生 女子
中学のとき。学校にほとんど行かない時期があった。いわゆる不登校である。そんな私に、お母さんは、毎日、お弁当を作ってくれた。持って出かけはしないのに、ちゃんと袋にも入れてくれた。それをいつも家で一人で食べていた。
「わざわざ袋に入れなくてもいいのに」と思ったけど、必ず袋に入っていた。
そのときは何も思わなかったけど、大学生になった今ならわかる。その袋は、お母さんの応援メッセージだったのだと思う。
今の私があるのは、そのおかげだ。
今は、私が父と母、姉のお弁当を作っている。私も必ず、袋に入れて渡している。
いかがですか?
お弁当、作りたくなっちゃった!?
何年もあとになって花開くであろう「思い」を込めてなにかをやるってことは、親にしか、そして、今しかできないんじゃないですかね?
→ 【お母さんからの相談】親が何かしてやれることはないだろうか?